珠洲市と私



 この度は、能登半島地震で被害に遭われた方々に心からお悔やみ申し上げます。今から30年ほど前の1994年及び1995年の夏に、トライアスロン珠洲大会(スイム2.5km, バイク99.4km, ラン23.3km)に出場するために2年続けて珠洲市を訪れました。当時滋賀県ではアイアンマンジャパンIN LAKE BIWA(1985年-1997年)という過酷なトライアスロン競技が開催されており、海外招待選手が多く、参加条件は非常に厳しく、過去の成績が重視されました。そのため、当時実績を作るためにトライアスロン珠洲大会に参加しました。スイム競技会場である鉢ヶ崎水泳場は透明度が高くプールで泳ぐ様な感覚であったことを思い出します。バイク競技では、今回被害の特に強かった場所の能登半島の先端を走り、風景を満喫する余裕はなく、死に物狂いでペダルを漕いだ記憶があります。最後のラン競技では沿道の住民の方々の応援をいただき、真夏で過酷な状況でしたが、立ち止まること無くゴールできました。また途中で便意を催した際に、住民の方が気軽にお手洗いを貸していただき、緊急事態から救っていただきました。幸いにも1995年のアイアンマンジャパンレース(スイム3.9km, バイク180.2km, ラン42.2km)に出場可能となり12時間で完走しました。その結果、アイアンマンの称号をいただきました。このアイアンマンレースは1回のみの参加でしたが、自分の人生で忘れることのできないイベントの一つとなりました。頑張れば何でもできると自信をつけることができ、それを促していただいた珠洲市の方々の応援に対しては感謝の念で一杯でした。1995年の阪神淡路大震災時に日赤医療スタッフとして2度赴いた様に、直ぐにでも現地に駆けつけ医療救援活動に参加したいところですが、日々の診療に追われ気持ちだけですが、義援金を送らせていただきました。この震災でご家族を亡くされた方々や避難所生活を続けておられる能登半島の住民の方々やのことを思いますと心が痛み、1日でも早い復興を心よりお祈りいたします。